細胞膜とは

生物物理学I 講義シラバス 2003-4年度

「細胞膜はどのようにして働くか」、特に、「細胞膜ではどのように細胞外からの情報を加工して細胞内に伝えるか」を主題とする。大まかには、(1)細胞膜の基礎的な構造と機能から始めて、(2)細胞膜の働き方の基礎(膜特有の分子間相互作用の基礎)、(3)細胞膜における情報変換とその機構、という順序で話を進める。詳しくは、講義の詳しい内容を参照のこと。

では、このような話のどこが生物物理だろうか?

まず、第一に、1分子観察・操作の方法、1分子ナノバイオロジーを強調することが挙げられる。特に、生きている細胞の中で、情報変換システムの働きを1分子毎に調べるという方法に重点を置く。「細胞は生命の基本単位である」という話はよく聞く。だから、細胞を作っているタンパク質分子やDNA分子が細胞の中で動き回ったり、他の分子と結合してはまた離れたりするのが、1分子ずつ、手に取るように見えたら、「生き物の働き方」や「生命の基本的な働き方」はいっぺんにわかって来るであろう。注意して欲しいのは、どのような分子があるかではなく、それらの分子がどのように働くかという、作動原理の追求に重点があることである。

生細胞中で1分子の働きを追いかけるというような話は、夢物語のように聞こえる。大体、細胞の中でなくても、1分子を見た人など、世の中広しといえどもそう多くはない。皆さんはありますか? しかし、うまい条件がそろったときには、生きている細胞の中での分子の挙動が1分子ずつ見えるという時代になってきた(私達のグループも少しばかりは寄与してきた)。さらに、1分子ずつ掴まえて動かしたり、動かすときの抵抗を測ったり、というようなことまで可能になりつつある。私達の研究室では、毎日、生きている細胞の中で、分子の動きや反応を1分子毎に見ているし、ひどい人になると分子を掴まえて引き離すなど細胞の邪魔をしている。

この講義では、1分子法を使って研究が大きく進展した例として、「細胞膜はどのように働くか」、「細胞膜上での情報変換システムはではどのように働くか」という話を主に取り上げる。

「細胞膜は液体である」と初めて聞いたときには驚いた。「半透膜である」とは中学生の時に習ったことがある。だから、薄いセロハンかラップのようなものだと思っていた。液体という意味は、膜を作る分子が、膜の中で熱運動によって自由に動き回るということらしい。実際に見てみると、その通りと言えばその通りなのだが、細胞は、そのカオスに少し制御をかけていて、それらのうまい組み合わせによって、細胞膜がうまく働くことがわかってきた。これは、1分子ずつ見なくてはわからないことである。つまり、(1)細胞のシステムは確率過程論的に働く(各分子は同期して働かず、熱揺らぎによって駆動されてランダムに働く)、(2)細胞のなかでは、各分子に違う制御が働いており、場所によっても違う制御が働いている(細胞内の分子環境は本質的に inhomogeneous)、であるので、1分子ずつ多数の分子を見ないと、多数分子の平均を見ると何が何だかわからなくなるのである。

1分子法で研究することによって、シグナル伝達系は予想をはるかに超えてダイナミックに制御されており、しかも、予想もしなかったやり方で制御がかかっていることがわかってきた。細胞に刺激を入れると、シグナル系の活性化が1~数分間続くように見えることが多い。しかし、1分子ごとに見てみると、0.5秒程度の時間しか活性化されていない(つまり実に動的である)ことを示唆する例が、我々の研究で次々と見つかってきた。SCF刺激後のRas/Raf、 PKC、GPIアンカー型CD59からラフトを介在させておこるLyn、PLCg,の活性化、などである。これらの分子は、それらの足場タンパク質(scaffolding protein)や足場になるラフト構造、下流のeffector 分子(+シグナル分子によってはそれを不活化する分子も)らと短寿命シグナル複合体を形成し、一瞬の間だけシグナルを流したかと思う間もなく分解される。これは予想だにしなかった結果で、今まで生化学的方法/通常のイメジング法などで見られてきた数分のレベルの活性化は、個々の分子の、0.5秒程度というはるかに短いパルス状の活性化の合計であるらしい。つまり、細胞のシグナルの基本はデジタル式で、或る時間での(平均としての)活性化の度合いは、単純に、その時間にONになる分子の個数で決まる。これは、1分子レベルで見ると、そのシグナル分子はほとんど常にOFF状態で、一瞬だけONになるということでもある。

第二に、この講義では、池泉回遊式構成を通じて生物物理的思考法を身につけていただくことを、目的としている。

上記のような話では、色々細かい例(知識)を取り上げ、その度に、面白くてしかも広く役に立ちそうなレッスンやヒントを落としていく予定である。終わりの頃になったら、それらを通じて、(多くの皆さんにとっては)新しい思考スタイルというか、思考方法(生物物理的、システム工学的な考えに近い思考方法)に馴染んで、そのような考え方とか見方で生物現象を見るという訓練がある程度出来ていた、という具合にしようかと思っている。こういうのを、私は、「池泉回遊式構成法」と呼んでいる。京都の大きな庭の多くはこのようなスタイルをとっている。

これの対極にある構成法は、また、庭園のアナロジーを使うと、例えば、ベルサイユ宮殿の庭園であろうか。3階のベランダから俯瞰したときの整理された美しさ(しかも、幾何学的対称性に重点)を求めた「俯瞰型構成法」である。科学では普通こちらを取るが、思考方法も教えようという講義では、池泉回遊式をとって、実際に思考してもらうという方法をとるより仕方がないようだ。(ついでに、例というのが、思考法を示す典型的な例であると同時に、それだけ取り出しても知識として役に立つ、というようなものになるよう努力したい。)

このような、池泉回遊式構成から、この講義でピックアップして欲しい考え方は、以下のようなものである。

1

生物物理的な考え方、考え方のスタイル、基本概念

熱運動と能動的過程の協調

拡散過程か、パイプラインか、という考え

法則性を見いだし、単純な原理で説明しようとする

生物の合目的性(進化の産物)

2

細胞をシステムとして理解しようとすること(システム的理解)。

この講義では、特に、情報変換システムについて、制御性、確実性、安全性などを考える機会とする。

もちろん、このような思考法がまともに正面切って取り上げられたら良いなと思うが、これがなかなか難しく、今すぐには、ベルサイユ宮殿的俯瞰型構成をやることは諦めている。

もちろん、このような思考法がまともに正面切って取り上げられたら良いなと思うが、これがなかなか難しく、今すぐには、ベルサイユ宮殿的俯瞰型構成をやることは諦めている。

しかし、生物物理学的な思考方法・アプローチの特徴として、以下のようなものを挙げることができる。

1

原理に立ち戻って考える

who と what だけでなく、when, where, how, why(物理的なhow, why に加えて、進化的に見たhow, whyも)が大切

2

一般的な基本法則を求める(進化は重要なキーワード)

3

1分子細胞生物学、1分子ナノバイオロジー

4

システムとしての理解

5

熱揺らぎがいつも問題の本質に関与してくる

相互作用エネルギーと熱運動、輸送と拡散、熱運動過程と能動的過程(ATP依存的な過程)のバランスに対する考察がいつも重要

最終的には、思考力を養う講義だったと納得して貰えるように努力したい。

第三に、細胞膜の働き方、細胞膜における情報変換システムの作動機構、という問題は、すぐれて、生物物理的な課題である。細胞膜の機能--例えば、情報変換、細胞間認識/接着/交信(シナプス形成など)などの機能--は、細胞膜の特定の場所に特定のタンパク質をリクルートして、(秒以下の短寿命のものから、数十秒・数時間の寿命をもつような)複合体やドメイン構造を形成することによって担われている。細胞膜上のドメインや複合体の特徴は2次元の液体のような膜をベースにしていることで、そこで作られる構造も、柔らかいというか、いい加減というか、無難な言葉では可塑的であるという特徴がある。すなわち、細胞膜上では、細胞膜分子を可塑的に常に再組織化して、機能を自在に環境に合わせて調節することがおこなわれている。したがって、細胞膜という超分子システムは、細胞/生体系/生物のしなやかで柔らかい構造と機能の仕組みを理解するための好適なパラダイムを提供する。このようなシステムの働き方を理解するには、分子を同定するとか、結合を見るとか(しかも非常に多くの分子の平均値を見るとか)のようなことでは追いつかない。生物物理的思考、システム工学的思考が要求されるのである。例えば、このような柔らかい膜システムの形成(例えば短寿命シグナル分子複合体の形成と分解)を理解するには、会合体形成が、局所濃度、熱運動、相互作用のエネルギー、幾何学的配置などの微妙なバランスの上に成り立っているということを知らねばならない。

似たようなことは、生物モーター(化学エネルギーから運動エネルギーへの変換)の話とか、タンパク構造とか、色々な系を例にとって出来ると思う。しかし、私は、細胞生物学、発生生物学、生化学など他分野との関連も考え、本学科では、細胞膜における情報変換を例に取りながら、生物物理的思考法を身につけてもらうのが良いと考えている。

また、講義の特徴として、最近得られた、1分子毎に見たり操作している動画を多く使って、研究現場の雰囲気とともに紹介することもおこないたい。

生物物理学I 講義の具体的内容

§1 オリエンテーション+生物物理学へのイントロダクション

オリエンテーション

  1. 数式を使わない生物物理学入門
  2. しかし、基礎から最先端までをカバー
  3. 通しのシラバス

生物物理学へのイントロダクション

  1. 10分間でわかる生物物理学の歴史
  2. 自然認識の再構築の最前衛としての生物物理
  3. 生物物理学の中心は基本メカニズム(普遍的なメカニズム理解)の追求
  4. 生物だけに存在するような特定の物理法則はない
  5. 構造形成の原理的理解
  6. ナノバイオロジーの視点
  7. 生物物理学・ナノバイオロジー・システムバイオロジー研究のパラダイムとしての細胞膜研究

§2 1時間でわかる細胞膜

  1. 細胞は膜だらけ
  2. 膜の形は変幻自在、膜は膜からできる、膜は動き回る
  3. 生体膜の分子レベルでの構造(2次元的液体)
  4. 膜融合、膜開裂
  5. 膜を作る分子
  6. 膜構造の形成
  7. 膜は水で薄めても簡単には溶けない(臨界ミセル濃度)

§3 膜骨格による細胞膜分子の組織化と機能制御

§3-1 膜骨格のフェンス効果

  1. 細胞膜の流動モザイクモデル(図1)
  2. 細胞膜分子の組織化の機構(図3,5)
  3. 膜骨格による膜タンパク質への「結合効果」と「囲い込み効果」(図4)
  4. 細胞膜上の分子を1個ずつ追跡する(図7-12)
  5. 膜タンパク質のホップ拡散(囲い込み効果、図13-15)
  6. 膜骨格フェンスモデル(図16,17)

§3-2 光ピンセットを使った1分子操作による、膜骨格の囲い込み効果の検討

  1. 光ピンセットで膜タンパク質1分子を摘んで引っ張る(17-23)
    • トランスフェリン受容体(20-22)
    • 膜骨格の電顕像(24-25)
  2. 赤血球ゴースト膜で、band3を引っ張る
  3. 膜骨格を引っ張る(33-37)
  4. カドヘリンの細胞質部分を改変したときの、カドヘリンの挙動

§4 本日は三題噺

  1. 膜の動的な力学的変形能
  2. 細胞内膜と細胞骨格系との相互作用
  3. 細胞内膜管腔ネットワークの形成機構(Tubulovesicular Network)

§5 生体ナノ機構

  1. ナノワールドへの招待
  2. 小さいこと(ナノメートルサイズ)に何の意味があるのか
  3. 拡散と輸送
  4. 1分子観察/1分子操作:ナノバイオロジーの世界
  5. ナノバイオロジー研究のパラダイムとしての細胞膜研究

§6 細胞膜での情報処理

細胞は(細胞内分子とか核は)、どのようにして細胞表面の受容体にリガンドがついたと知るのか?
割と少数の方法しか、進化の過程で産み出されてこなかったようだ

  1. 構造変化型
  2. 自己リン酸化型(チロシンリン酸化)
  3. 1分子観察/1分子操作:ナノバイオロジーの世界
  4. (2)には色々なバリエーションがある
    • リガンドが2量体でないもの EGF受容体
    • キナーゼがついていないもの??!!
    • src family kinase (SFK) 結合型
      (3-1) 膜貫通型受容体
      (3-2) GPIアンカー型受容体

見た信号をどうやって伝えるか?

  1. 増幅器とスイッチ
  2. アダプター、コネクター、アンカー、スキャッフォールド
    (adaptors, connectors, anchors, scaffolds)

クロストーク(利用と阻害と)

§7 細胞膜の2次元編制

  1. 会合体形成の微妙なバランス
    局所濃度、熱運動、相互作用のエネルギー、幾何学的配置
  2. 細胞膜は膜タンパク質できわめて混雑している
  3. 相互作用のバランス
    • 膜タンパク質の会合の微妙なバランス
    • 脂質のドメイン形成の微妙なバランス

生物物理学の特徴

  1. 原理に立ち戻って考える
    who と what だけでなく、when, where, how, why(物理的なhow, why に加えて、進化的に見たhow, whyも)が大切
  2. 一般的な基本法則を求める(進化は重要なキーワード)
  3. 1分子細胞生物学、1分子ナノバイオロジー
  4. システムとしての理解
  5. 熱揺らぎがいつも問題の本質に関与してくる
    相互作用エネルギーと熱運動、輸送と拡散、熱運動過程と能動的過程(ATP依存的な過程)

細胞膜とは

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